【1/30更新】「お前、明るい音楽聴けるか?」「あまり聴けませんね」「だろ?やっぱり音楽は暗くなくちゃな」編集Sの日誌 2022年1月

1/5(水)
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

新年のご挨拶に代えて、年末年始で所沢・ひたちなか間を2往復、所沢・岐阜間を1往復した道中に聴いていたドライブBGM38枚をリストアップします。

Anton LaVey「The Satanic Mass」
Angra「Rebirth」
Yngwie J. Malmsteen’s Rising Force「War To End All Wars」
Doraid「Death Line City」
乃木坂46「Time Flies」
Ancient Grease「Women And Children First」
罵倒流鷹「Blazing Battle Road」
Doraid「Fight Against Oneself」
Apologist「Complete Blasphemy」
稲葉浩志「Peace Of Mind」
Split(Nightwings / Bob Blockhead Quartet)「Monster Chaos Universe」
Asocial「Total Asocial」
Yngwie J. Malmsteen’s Rising Force「Alchemy」
横道坊主「横道坊主」
サウンドトラック「ざくろの味 GM-PROGRESS-3」
乃木坂46「今が思い出になるまで」
稲葉浩志「マグマ」
Angra「Fireworks」
スピッツ「Recycle: Greatest Hits Of Spitz」
Abigail「Ultimate Unholy Death」
山本彩「Identity」
Aerosmith「Night In The Ruts」
B’z「Brotherhood」
乃木坂46「それぞれの椅子」
山本彩「Rainbow」
罵倒流鷹「Strong Attitude」
乃木坂46「生まれてから初めて見た夢」
Angra「Holy Land」
Accuser「Reflections」
Yngwie Malmsteen’s Rising Force「Perpetual Flame」
All About Eve「Scarlet And Other Stories」
松たかこ「Five Years – Singles」
Witchslaught「Witchslaught」
Birth Ritual「The Wild Evil~Demos & Singles Collection」
マイナーリーグ「青い空」
欅坂46「真っ白なものは汚したくなる」
Aerosmith「Permanent Vacation」
稲葉浩志「志庵」

乃木坂46「Time Flies」は車に積みっぱなしなので写真はない。
しかしこのベストアルバム、今まで配信のみだったりしてアルバム未収録だった曲が入っているDisc3と豪華ブックレットが目玉とはいえ、CD3枚+BD1枚の初回限定版が7000円はボりすぎだろう……。
しかもDisc1とDisc2は曲の並び順がアルバムとほとんど同じだし。それだったらアルバム聴くよっていうね。
でも買ったんだけど。

AKB48も乃木坂46も、今のところシングルのB面(CDだとカップリング曲、か)を集めた音源集というのがリリースされていないのだが、今後も出ることはないのだろうか。

B面にもちょこちょこ良曲があることを知っている。
B面の曲をコンプリートしたかったら、シングル盤を集めるしかないのか? それは「僕は嫌だ!」(欅坂46)。これ以上プラスチックに部屋を占領されたくない! あと、CDは車で聴きたいので、すぐに再生が終わってしまうシングルは都合が悪い。

配信音源をDLしろよって声が聞こえてきそうだけど、それはやらないんです。音源を配信で購入したことは1回もないし、これからも(仕事で必要になったりしない限り)するつもりはない。フィジカルしか信じられないんです。
シングル盤を集めてPCに取り込んで、B面の曲だけのプレイリストを作ってCD-Rに焼けってか……。そんでジャケットも自作しちゃったりすんのか! めんどくせえ! 

と思ったけど、それを2022年の抱負にしようかしら。
申し遅れましたが私、寅年の年男でございます。

「今年はAKB48と乃木坂46のシングルB面音源集をつくる」

くだらない抱負と思われるかもしれませんが、私は真剣なのです。

今年もよろしくお願いいたします。

1/6(木)
妻の誕生日に何を贈れば良いかわからず、女性のことは女性に聞くのがよかろうと思い、風呂で娘に相談する。

俺「ねえ、ママの誕生日に何をあげたら良いかな?」

娘「私は絵を描いてプレゼントするけど……」

俺「それは良いことだね。パパは、ママに何をあげたら良いと思う?」

娘「パパも何か作ってあげなよ」

俺「作るって何を? アクセサリーとか?」

娘「う~ん、アクセサリーもいいけど、どんぐりでコマを作ってあげたら良いんじゃない?」

俺「それは良いことだね!」

――そうだ、先日の会話で出てきた「椅子」なんてのはどうだろう。確か欲しがっていたような……。

1/9(日)
Yngwie Malmsteenと一緒に作品を制作した歴代のヴォーカリストで誰が好きかという、誰の得にもならない一人語りです。

AlcatrazzのGraham Bonnetは別格として、ソロキャリア以後の共演者だと、個人的なトップ3はMark Boals、Joe Lynn Turner、Jeff Scott Soto。ってこれ、80年代黄金期のヴォーカリストを並べただけじゃないか。
書いて気づいたけど、これはヴォーカリストの序列というよりは、彼らが歌っている作品の満足度に負う部分が大きいかもしれない。

Mark Boalsは、「Trilogy」が名盤なのは当然として、個人的には「Alchemy」での彼が好き(「War To End All Wars」は……? はて、そんな作品ありましたっけ)。
ありえない話だけど自分がもし様式美メタルの歌い手であったなら、彼のように歌いたいと思う。自分が女性だったら、「声だけで孕む!」とか言ってるに違いない。

Joe Lynn Turnerに関しては、Rainbowファミリーの起用はもう反則って感じ。
「Odyssey」はハードロック/ヘヴィメタルの枠を飛び出して、AC/DC、Aerosmith、Bon Joviなどのように、80年代洋楽を代表するポピュラーミュージックとして一般リスナーにもアピールしうる名盤と思っている。曲の良さもさることながら、Joeの爽やかな声が間口を広げていることは間違いない。

インギーのソロキャリア1人目のヴォーカリスト・Jeff Scott Sotoこそが、後にインギーが共演するヴォーカリストのタイプを決定づけている気がする。要するに〝Ronnie James Dio系〟。
ただ、「Marching Out」は曲・音作りともに素晴らしいと思うが、自分が持っている国内盤CDの音質が非常に悪い(他のCDの1.5倍くらい音量を上げないとまともに聴こえない)のが玉に瑕である。

番外では、地味な印象のMats Levenも結構好きだ。彼が参加した「Facing The Animal」が、90年代後半という時期にありながら予想を上回る充実度の内容だったことが加点ポイントになっている(これは「Alchemy」にもいえる)。あと、同作におけるCozy Powellの起用もデカい。

世間的には人気のある(妻も一番好きだという)Mike Vesceraは、いうほど好きじゃない。彼が歌った「The Seventh Sign」は90年代の作品で最も完成度が高いと思うけど、Mike自身の歌にはそこまでグッときていない。なんか大味……一本調子な感じが。

実力的にはTim “Ripper” Owensは歴代でもトップクラスなんじゃないかと思うけど、いかんせん加入した時期が00年代後半なのが痛かった。個人的に、00年代以降の作品はほとんど曲が思い出せない。聴き込みが足りない、と言われればそうかもしれないけど。

しかし、インギーの作曲能力が全盛期だったとしても、Timの声がインギーの曲に合っていたかどうか……? Timのヴォーカルで歴代の代表曲の数々を聴いてみたい。Ozzy Osbourneのトリビュート盤でみせた、”Mr. Crowley”での共演は素晴らしかった。

Doogie Whiteは、タイプとしてはインギーを支えた歴代のスーパーヴォーカリストたちの系譜に連なる声だけど、時期が00年代ということもあって印象が薄い。

Goran Edmanは、北欧ハードポップ調の曲では良い仕事をしていると思うけど、ハードな曲ではパワー不足感が否めない。あと、ミキシングの問題かと思うけど「Eclipse」はなんか声が小さくないですか。

まあ一番好きなのはAerosmithのトリビュート盤で“Dream On”を一緒にカバーしてるRonnie James Dioなんですけどね。それを言っちゃあおしまいですね。

1/10(月)
娘と2人で、妻の誕生日プレゼントを探す旅に出た。

妻がかねてから欲しがっていた椅子、ではなく、娘の提案するところの「どんぐりゴマ」でもなく、品薄状態で抽選にも通らないというPS5を探しにダメもとでリサイクルショップへ。

そしたら、ありました。

娘「ぷれすてふぁいむ、あったじゃん。買えば」

俺「いや、買っちゃ駄目なやつだろこれは」

正規の価格がこれなら考えなくもないが(しかしそんなに高いゲーム機を出すメーカーのことは嫌いになるが)、今これを買うと転売ヤーを利するだけな気がして癪である。

娘「これいくら? こんな数字見たことないよ」

俺「じゅうまんえん。お札のなかで一番大きい一万円冊が10枚。大金だぞ。本当は5万円くらいなのに、高くなってんの」

娘「そっかあ。10円くらいだったら良かったのにね」

俺「それなら君でも買えるな」

今これを買うくらいだったら、俺は3台目のPS2(2台は壊れた)か、4台目のドリームキャスト(3台は壊れた)が欲しい。
PS5は時が解決してくれるのを待つとして、問題は妻へのプレゼントである。

交際中から数えて15年くらいの付き合いで、初期の頃こそカップルらしい浮ついたものを贈り合っていたが、ここ数年はお互いに希望を聞いたうえで実用的なものを渡すようになっていた。

だがそろそろ、そんなに欲しいものもなくなってきたという。
するとアレか、いよいよ「体験」とか「時間」とか、そういう感じか!

1/11(火)
就活のエントリーシートの「あなたの好きなものを教えてください」という設問に、下記のように回答したらどうなるか。

グランジのなかではAlice In Chainsが一番好きだ。といってもAlice In Chainsはいわゆるシアトル一派の系譜に連なる音ではないから、グランジがどうとかではなく単にAlice In Chainsが好きなんだろう。レイン・ステイリーが歌ってた時代の作品は全部好き。というか、レイン・ステイリーが好きなんだろう。

どうもならん。「だからどうした」と書類で撥ねられるだけだろう。

1/12(水)
キノコ図鑑を熱心に見ている娘に、「食用」「毒」という漢字の読み方と意味を教えたら、各ページに載っているキノコ群を「これは毒、これは食べられる、これは毒、これは食べられる……」と仕分け始めた。

ほどなく、こんな質問をしてくる。

「毒でも食用でもないキノコは何の意味があるの?」

これは答えるのが難しい質問だ。

個々のキノコは、自らの生に意味を付加せんとして生えているのではない。「食用」というのは人間が勝手に付けたレッテルで、彼らは人間に食べられるために生えているのでもない。
キノコに限らず、あまねく生きるものはその生に意味のありやなしや? 俺もお前も、生きていることに大した意味なんかありはしない。意味なく生まれ、意味なく死ぬのだ。

娘が聞きたいのがそんなことでないのはわかっている。毒キノコを食べれば人間は死んだりハイになったりするし、食用キノコは食べることで栄養になる。では、毒でも食用でもないキノコは人間に対して何するものぞと、こう言いたいわけだ。
そりゃあ環境や生態系においては、俺は専門外だから詳しいことはわからないけど枯れ木を腐食させたりとか何らかの役割を果たして、それが巡り巡って人間の暮らしにも何らかの影響を与えているに違いないが、今目の前に毒でも食用でもないキノコが生えていたとして、その個体が俺やお前にどんな意味をもつのかと申さば……、

「そう! これが本当の〝毒にも薬にもならない〟ってことだよ!」

我ながらなかなか気のきいた答えができたのではないか。しかし娘は黙ってしまった。

1/13(木)
大学1年のときのバイト先で、当時精神をこじらせたロックボーイだった俺は、他のバイト仲間と馴れ合うことなくいつも1人で淡々と業務をこなしていた。

ただ1人、音楽通で年配の社員だけが、俺の理解者で話し相手になってくれた。

社員「お前、明るい音楽って聴けるか?」

俺「あんまり聴けませんね」

社員「だろ? やっぱり音楽は暗くなくちゃな。だからお前も暗いままで良いんだ。だけど覚えとけ。お前はこの先、どこに行っても浮くだろう。諦めろ。お前はそういうタイプとして生きていくしかないんだ」

これは一見、呪いの烙印を押すようなもので、相手を選ばずに言ったらモラハラになる言葉だ。俺は祝福として受け取ったけれども。

1/16(日)

乾ルカ『おまえなんかに会いたくない』(中央公論新社、2021年)

表紙のあまりのパワーに手に取ってしまった一冊。装画は雪下まゆさん。最近、この方が表紙を手がけた本をよく目にするが、おしなべて押し出しがいい。

本の内容は、高校時代のスクールカーストとその10年後の同窓会をテーマにした小説で、SNS、コロナ禍を絡めた当世流の物語。

これは私が最近雑談でよくする話で、情報の出どころは本かウェブ記事か誰かが言っていたのか忘れてしまったのだが、人間の脳が完成するのは27歳くらいらしい。

思春期特有の「本当の自分と本当はこうありたい自分の乖離」に苦しむ症状は、脳の未完成状態に由来するものらしく、そのせいで若者は無駄にイキッたり頑張って陽キャを演じたり、あるいは鬱キャラぶってみたり本当に鬱になったりと精神が不安定なのだという。

こうした不安定さを抱えながら、教室という閉鎖空間に閉じこめられて年単位で暮らさなくちゃいけない中高生というのは、そりゃ親にも教師にも友達にも言えないような気苦労が絶えないんだろうなと思う。
本作に登場する(主に女)生徒たちの行動、発言、目くばせ等々の、なんと政治的なことか!

私自身は生来の恥知らずな性質に加えて、中高が男子校だったから、とても伸び伸びと過ごさせてもらった。しかし、もしも同じ空間に常に女子がいて、常に性的対象物としての評価にさらされていたとしたら? なかなかしんどかったかもしれない。極度の運動音痴で球技全般がまったくできないし。

「イケてるグループのメンバー」「委員を率先して引き受けて行事を推進する、学校の中心的存在」「どこのカーストにも属さない孤高の存在」などと評価されるために頑張るうわべの自分と、「番長格の金魚の糞」「教室に居場所がないだけ」「友達がいないだけ」という本当の自分との乖離に苦しむ症状が、仮に脳の完成に伴って27歳前後から緩和されていくのだとしよう。

しかし現代には、こうした「こう見られたい自分/本当の自分」の統合を阻む恐るべきツールがある。SNSである。自分の意思で取捨選択・編集した情報だけを書き込める(そうする以外にない、ともいえる)SNSは、アカウントをもつだけで自動的に「自分」を「SNSでの自分」と「生身の自分」に分化する。

リアルでは吐き出せない苦しみをSNSで吐露して救われる場合もあるようだし、私自身もリアルではなかなか繋がれなかった人とコンタクトをとることができたりして仕事やバンド活動などで大いに役立っているので、「SNS=悪」と断罪するつもりはまったくない。

が、ある程度大人になればそれなりに解決されていたはずの「〝自分〟の未統合状態」を一生、あるいはアカウントを閉じるときまで抱え続けなければならない現代というのは、昭和や平成中期までの時代とは違った意味でまた色々大変ダナーと、本の内容とは関係ないところで思ったりしたものの、昔から大人は会社、家庭、飲み屋など各シーンで「自分」を使い分けてきたし、多くの人はこうした分化に問題なく適応しているのかもしれませんね。

当の私はというと、この文章の結論がバチッと決まらないまま長文になってつらい! こんな話こそ、飲み屋でしろってハナシですよね。コロナ禍のせいで飲み会に行かず、友人と会わず、ライブハウスに行ったりスタジオに入ることもしばらく自粛しているので、人との繋がりに飢えているんですよ! SNS万歳!(と、「!」を多用して煙に巻いて自分を守る)

1/19(水)
【満月の夫婦合体】

最近の性向をお話しますと、一刻も早く仕事を切り上げて帰宅し、夕食の準備をし、洗い物をやり、ゴミをまとめて出し、娘を風呂に入れて寝かしつけ、家族3人の洗濯物の乾いたやつが集積している場所で持ち主別に仕分け作業をし、翌日の娘の幼稚園の準備や弁当の仕込みを終わらせておき、風呂上がりの妻の側に化粧水、乳液、その他用途不明の液体がなければ携えて馳せ参じ、妻がありとあらゆる雑事の軛から解放されて準備万端メガテンを開始したタイミングで私はプシュッとビールを開封し、ほろ酔い気分で横からありとあらゆる口出し、駄目出し、ネタバレをしていくことが愉悦の時間であります。

1/24(月)
先にお断りしますと、夢の話であるうえに少々下品です。

私がどこかの大型書店のトイレで小便をしていると、男子専用であるにも関わらず、見知らぬおばちゃんが入ってきました。

おばちゃんの手には刃物のようなものが握られています。そして、そろり、そろり、と私の方に近づいてくるんです。
身の危険を感じた私は早く小便を切り上げておばちゃんに向き合いたいのですが、小便が消防車の放水のような勢いでまったく止まりません。

おばちゃんとの距離が2m程度となったとき、私はありったけの大声で「近寄るな!」と叫びました。しかし、その声をトリガーとするようにおばちゃんが一気に距離を詰めてきたので、私は小便が出っ放しのまま、おばちゃんの方に向き直りました。この小便も、相手を怯ませるのに一役買うだろうと。

そこにおばちゃん容赦なく刃物を振り下ろし、私のアソコが根本からスッパリ! というところで目が覚めました。ものすごい尿意を催していました。

1/28(金)
今日は妻が会社で残業してくるので、娘と2人でアフター5を過ごした。

俺「晩飯どうする? 何でも好きなもの食わしてやるぞ」

娘「サイゼリヤ! 私はね、サイゼリヤを心から愛しているんだから」

俺「そうか。俺が死ぬまでにいっぺんくれえはお前にサイゼリヤで腹いっぺえ食わしてやりてえと思っていたから、ちょうどいいや。一生に一度の贅沢だ畜生! 行くぞ、サイゼリヤへ!」

娘「そしたらねー、私はスパゲッティを頼むから、パパはピザと辛味チキンを頼んでください」

俺「何でよ。好きなもん食わしてよ。一生に一度の贅沢なんだから」

娘「ダメだよ。ピザは、私がピザカッターで切ってあげます」

俺「それであんたも食べるわけ」

娘「違う。私は切るだけ。私はピザカッターでピザを切るのが好きなの」

俺「辛味チキンは」

娘「それはパパが私に1個くれて、残りはパパが食べてください」

それにしても見てください、娘のコーディネートを(写真)。

上下黒ジャージで、ズボンの裾を靴下にインしておる。
前面は、ジッパーを一番上まで上げている。服にボタンやジッパーがついていたら全部閉めないと気がすまないタイプ。
「浦安鉄筋家族」の西川のり子やドリフのバカ兄弟を彷彿とさせるモッサリスタイルだが、娘は割と自分の意思でそうしている。

最近の子どもはスタイリッシュなので、幼稚園に迎えにいくと、教室のなかで異彩を放っていてすぐにわかる。
しかし、色気づく年頃なら絶対にしないような服装を好き好んでする現在の年代を、好もしく思う自分がいないわけじゃない。30年後にまたこの服装になる予感がするけど。

■前月

【1/2更新】童貞は30歳でpowerを得てdivineとなる 編集Sの日誌 2021年12月

■次月

キョンシーの天ぷら 編集Sの日誌 2022年2月