【1/2更新】童貞は30歳でpowerを得てdivineとなる 編集Sの日誌 2021年12月

12/7(火)
風呂にて。

娘「パパ、おじぞうさんごっこしよう。まず私がおじぞうさんやるから、パパお願いごとして」

俺「じゃあ……、おじぞうさん、おじぞうさん、パパの給料を上げてください」

娘「はい、きゅうりあげます」

俺「きゅうりじゃない、きゅうりょう。パパが働いて会社からもらうお金のこと」

娘「そんなの知らないよ。きゅうりならあげます」

俺「じゃあ、きゅうりもらっとくよ」

娘「次はパパがおじぞうさんやってね。おじぞうさん、おじぞうさん、私におもちゃをいっぱいください。スイカとお団子とお菓子もお供えしますから」

俺「それ全部、あんたが好きなものじゃないか。パパが好きなものをお供えしてくれよ」

娘「じゃあきゅうりをお供えします」

俺「ギャフーン!」

らくして おかねもうけをしようとしては いけないね

12/8(水)【童貞は30歳でpowerを得てdivineとなる】

ドイツのヘヴィメタルバンドHelloweenの“Power”。
1996年の7thアルバム「The Time Of The Oath」の4曲目に収録されている、90年代の彼らを代表する曲の1つである。
この曲の、「We’ve got the power, we are divine」という歌詞のサビを聴くたびに思い出すことがある。

それは、俺が大学生だった2000年代後半頃のこと。当時所属していたバンドサークルで、オタクっぽい男たちが、自分たちが童貞であることを「ディヴァイン(divine)」と呼び表していたのだ。そのときの彼らの心理は、俺の見立てによるとこうだ。

「30歳まで童貞でい続けると、魔法が使えるようになる」という都市伝説がある。20歳前後で童貞だった彼らは、ゆくゆくは魔法使いになるであろう自分たちの運命を予見し、「魔法が使える存在=神にも近しい超自然的で尊い存在」との解釈から、自らを「divine(神聖な)」と表現した。

また、当時のオタクたちが熱狂していたアニメ「らき☆すた」に登場するヒロイン・泉こなたの有名な台詞「貧乳はステータスだ。希少価値だ」に勇気づけられ、自らが弱点と認識する性的特徴を逆に「ステータス」で「希少価値」だと自分自身を鼓舞するためには、「divine」という肯定的かつ超俗的な語は都合が良かった。

さらに、どのバンドサークルにも一定数はいる日陰者のヘヴィメタル好きのなかでも、とくにオタク系の人間が好むメロディックパワーメタルというサブジャンルの代表的なバンドが上記のHelloweenであり、その代表曲“Power”のサビに「We’ve got the power, we are divine」というフレーズがあることが決め手となった。

こうした事柄を踏まえ、改めて“Power”の歌詞を1コーラスぶん和訳してみよう。

Can you imagine someone being true
あの娘が実在すると想像できるかい

Turn ’round and put himself in front of you
振り返って、〝彼女〟を前にしてみな
(※himselfとあるけど、オタクが夢想する二次元の世界では男女の境界なんて非常に曖昧なものである。ふたなり、男の娘、女体化、男体化、メスショタ、やおい穴、何でもありだ)

Sometimes it’s fun but then you never know
楽しいだろうけど、お前には想像もできまい

How far a thing like this might go
それがどんなにトンでることなのかってことをな

All my life I’ve waited for a chance to get right out of here
これまでの人生で、俺はここから抜け出すチャンスを待ち続けてきた
(※こういう歌詞がオタクたちの心を掴むことは、現代のライトノベルで「異世界転生もの」が隆盛を誇っていることからも納得できる)

And when I had it in my hands I could not let it go
せっかく手にしたそれを、手放しはしないぜ

We’ve got the power, we are divine
俺たちはついに魔法を使えるようになった 神聖な存在なんだ

We have the guts to follow the sign
矜持をもって〝オタク道〟を邁進するぜ

Extracting tension from sources unknown
未知の源からテンションを引っ張り出して

We are the ones to cover the throne
俺たちは「嫁」を守護する者なり
(※今、好きなアイドルやキャラクターを「推し」というが、10年くらい前は好きな女性キャラクターを「俺の嫁」などといった。ただ、この言葉は封建主義的なニュアンスが強いので、廃れていいと思う)

――見事なまでのオタク賛歌ではないか!

それはそうと、俺はHelloweenの作品のなかで、前作6th「Master Of The Rings」(1994年)から始まるアンディ・デリスがヴォーカルの時代が、カイ・ハンセン~マイケル・キスク時代よりも好きかもしれない。そのこころは、コージー・パウエルやヴィニー・アピスに並んで好きな剛腕ドラマー、ウリ・カッシュの存在に他ならない。……が、長くなったのでその話はまた別の機会に。

12/12(土)

娘(5歳)が、図鑑を通して得た魚への興味から子どもらしい〝派手もの好き〟で鮫に飛びつき、YouTubeで当たり前のように映画「JAWS」に行きついた。日々「ジョーズジョーズ」とうるさいのでDVDを買ってあげたら、いっそう「ジョーズジョーズ」とうるさくなり、2週連続で「JAWS」をフルで観る羽目になった。また来週も観たいとか言っている。
俺が「JAWS」を初めて観たのもおそらく5歳くらいのときで、後の自分の映画の嗜好をかなり偏ったかたちで決定づけられた。
「登場人物に黒人が足りない」「動物愛護の精神に反する」「こんなにしつこい鮫は自然界に存在しない」などなど、映画に対する審美眼とは関係のない方面からの批判が多い作品だが、いつ観ても良いものは良い! 
サスペンスフルな前半から一転して冒険映画に転じる構成、漁船の船長・クイントの人物造形と、それを怪演したRobert Shawの演技力、不気味さと爽快さを併せもち、映像と同期して展開するテーマ曲の美しさ……。
とまあ大好きな作品なのだが、自分にとって大切な作品なだけに、2週連続で垂れ流しのように観続けるというのは「なんか違う」わけで。
数年前、月次で開催されていたオルタナパブリッシングの飲み会で、梵天レコードの加藤君が「Easy Rider」をバックグラウンド・ミュージックならぬバックグラウンド・ビジュアルとしてスクリーンに投影したら、社長が「馬鹿野郎! この映画は俺にとって大切な作品なんだ! こんなところで垂れ流しにして観るんじゃなく、俺にとってしかるべきタイミングで腰を据えて観るべき作品なんだ! 消せこの野郎!」と激怒していたのを思い出す。
俺にとっての「JAWS」もそんな作品の1つで、今後の人生で10年に一度か20年に一度、それこそ自分にとってのしかるべきタイミングで腰を据えて観ていきたいと思っていた矢先に、まさかの「毎週観る」という状態がもたらされた。
しかし、娘にとっては人生の今この時期にすべての台詞(日本語吹替え)を覚えんばかりの勢いで繰り返し繰り返し観ることが、彼女にとってのしかるべきタイミングと観方ってことなんだろうなあ。なら人生の後輩に譲りますか。
そんな娘の、「JAWS」お気に入りシーンベスト3は下記(暫定)。
■3位
ブロディ署長の息子が初登場するシーン。
出血した手を見せて、「吸血鬼に噛まれた」と息子。「また壊れたブランコで遊んだんだろう。あれで遊ぶなって言っただろ」と怒るブロディ。
なんか知らんけど、この「吸血鬼に噛まれた」という嘘がツボらしく、よく笑う。自分が公園のブランコで遊んでいるときも、「ブロディさんの子どもはブランコで怪我したのに、吸血鬼に噛まれたって嘘ついたんでしょ?」と言ってくる。
■2位
賞金稼ぎの人たちが釣り上げたイタチザメを、フーパーが解剖するシーン。
このシーンが終わると、巻き戻してもう1回観せろと言われる。
解剖そのものの面白さに加え、「腹の中に人間の死体がなかったので、人を襲った鮫は別にいるはず」という理屈が、彼女的には非常に腑に落ちるらしい。「だから、真犯人は別の鮫ってことでしょ?」と何回も確認してくる。
■3位
ブロディが沈没しつつある漁船のマストに登り、鮫の口を銃で狙うシーン。
ここはYouTubeにも切抜きみたいな動画が上がっているので、娘が最も多く観ていると思われる。「ブロディさんは、最後まで諦めなかったから勝ったんだよ!」という言葉を、この1カ月間で100回くらい聞かされた。

12/13(月)
「お前には焼き鳥を食う資格がない」と言われたことがある。
ねぎまの塩が好きなので、そればかり頼む。
自分が食べるためだけに、一度に10本注文したこともある。
俺に注意をしたその男は、焼き鳥をタレで食わないのは邪道だと言った。
タレこそはそれぞれの店が工夫を凝らして作る「その店の味」なのであり、どこで食べても同じような味になる塩ばかり頼むのは、焼き鳥屋を馬鹿にしていると。
そう言われても、焼き鳥のタレは得てして甘く、酒のアテとしては俺の舌に合わない。酒を飲むときくらい、好きなものばかり食わせてくれ!
(ちなみに俺は、飲む酒もビールばかり。無粋な奴である)
そう返答したら、男は次にこう言った。
「お前がねぎまばかり頼んだら店のもも肉が早く減って、他の客が食う分がなくなる。お前は店に迷惑をかける気か」
「然り!」と俺は膝を打った。かつて江古田の四文屋で俺がねぎまばかり頼んでいたら、店の人に「もうない」と言われたことがある。店と他の客に迷惑をかけながら飲むのは粋ではない。以後、俺は焼き鳥屋でねぎまばかり頼むのをやめた。
でも、塩で食うのはやめられない。
好きなだけ塩ねぎまを食うため、俺はスーパーで買ってきた鶏もも塩に自分でねぎを足し、魚焼き機で焼いて食うようになった。

12/14(火)
B’z「Eleven」(2000)
99年にB’zにハマり、過去のシングルやアルバムを中古で全部買い集めた。そしてついに対面することになった、リアルタイムでの初のアルバムがこちら。
大期待して聴いて大いにがっかりし、小一時間後にはB’zのファンを辞めたという思い出深いアルバム(笑) 
以降、彼らの作品を追いかけるのはやめた(ごく最近、またちょこちょこ買うようになったけど……)。
「80年代はアリーナ型のハードロックをやっていたのに、90年代に入ってPanteraの影響を受けたバンド」みたいな音を出しているので、ハードロック原理主義だった中2の耳にはつらい作品だった。
しかし、モダンヘヴィネス化したBIG4やギーザー・バトラーのインダストリアルバンドなど、「その手の音」にもそれなりの親しみをもって聴ける今は、わりと楽しめるようになった。どんなバンドにも過渡期ってありますよね。相変わらず稲葉さんのラップパートはちょっとキツいけど……。

12/29(水)
隣の席のカップルの会話が耳に入ってきました。

「00年代以降のインギーの作品は、どれを聴いても同じように聞こえる。使い古されたリズムパターン、どこかで聞いたようなヴォーカルライン、音数は多いし音の高低差も大きいのにまったく聴き分けがつかないギターソロ……。いくらヴォーカリストを変えてもこの傾向は変わらない。近年はインギー自身がヴォーカルも兼任するようになっているが、その選択は彼にとっては正解だと思うよ。どんな曲をプレイしようとも、誰が歌おうとも同じなら、ヴォーカリストなんて雇わないほうがコストも労力も節約できていいだろう。だが、それによってリスナーは完全に、少なくとも新作がリリースされてからそれを再生するまでの間に味わえる束の間のワクワク感すらも奪われてしまった。ヴォーカリストが変われば、またそのヴォーカリストが自分のお気に入りの歌い手であればなおさら、とりあえず『どんなサウンドになったかな』と興味が湧くだろう? ティム・リッパー・オーウェンズが加入したときなど、その人選の意外性も相まって、作品の出来栄えが非常に気になったものだ。だが今や、そんな楽しみもない。イントロが始まったときの精神の高揚もない。耳障りな手癖連発のギターソロからは、マンネリズムが副次的にもたらす効用であるところの精神の安定も得られない。ただただ無意味な時間が流れるのみ」

「ええ。まるで、あなたとわたしの関係のようね」

12/30(木)
「そら、県境を越えた。ここから所沢だ。僕の生まれ育った町だよ。この辺で昼にしようか」

「ねえ、なんかイタリアン食べたくない?」

「『食べたくない?』って、脈絡のないことに同意を求めるぶしつけなタイプだな君は。まあ別にイタリアンでも構わないよ。スパゲッティとか、ムール貝やエビなんかを酒蒸しにしたやつとか、そういうのだろう? 君は助手席で手が空いてるんだから、適当な店をそのスマホで見繕ってくれたまえ。しかし、これだけはあらかじめ言っておく。ここはイタリヤではなく、所沢だから。この地で提供されるものはすべて、『トコロザワン』と呼んでもらいたいね」

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