【9/19更新】「最近こんな本を読んだよ」と人に話したいときの話 編集Sの日誌 2021年9月

9/1(水)
とりとめなく「最近こんな本を読んだよ」と誰かに話したいときに、ちょうどいいのはスタジオの休憩時間やレコーディングの待ち時間や焚火をしている最中など、無言でいるよりは何か会話でもしたほうがよかろうというシチュエーションで、これがSNSで発信、となると多少文章の体裁を整えなくちゃという気になるし、こんな本を読んでいて馬鹿と思われないだろうかという自意識も邪魔したりする。Facebookであればそれなりに近しい知人にガッツリと発信することになるし(というほど受け取る側の感覚としては「ガッツリ」でもないんだけど)、Twitterは不特定多数に向けて発信することになるので(フォロワー数は少ないけど)、何だか色々と煩わしい気持ちになる。そんなときに発信者(=僕)と受信者の距離感として一番よかろうと思ったのがこの「Tranquilized Magazine」の「編集Sの日誌」で、ここは基本的に更新してもSNSで告知しないし、基本的にこのウェブサイトへのアクセスはSNSか検索エンジンからの、記事ページそのものへの流入であり、流入されるページはたいてい僕のPCRの記事か芳賀さんのインタビューか加藤が書いたドゥーム関係の記事であり、定期的にトップページにアクセスして新着記事をもれなくチェックしている人や、記事ページから流入してもその後ぐるりとサイト内を回遊してみる人はほとんどいないと思われるので(知り合いでそういう人がいたらこっそり教えてくださいよ!)、で、そういう人がもしいたらそれは結構近しい人というか僕のことをそれなりに理解してくれている人(もしくは理解しようとしてくれる人)と思われるので、そういう人にならとりとめのない本の話をぶつけても良いかなあと思ったのでここで最近読んだ本の話でもしようかなあと、それもいつもしゃべるような感じで、というよりは僕はいつも一人でいるときは頭のなかでもう一人の自分や知り合いのなかの特定の誰かと会話をしているんですけど、そんなような感じでとりとめなく文章を綴ってみようかなあと思った次第で。そんで推敲なんか一切しないで適当に書きなぐってやろうと思っていたんだけど、ここまで書いて一人称に「僕」を使っているんだけど最初のほうは「俺」で書いてたことに気が付いて最初から読み直して「俺」を「僕」にチマチマ直したりしている。そうそう、ここを読みにくるような人はそれなりに僕に近しい人だろうと書いたけれど、最近母親に「あんたウェブサイトをやっているんでしょ」と言われ、サイト名とアクセスの仕方を教えてしまったので母親がここを見ているかもしれない。母親は見なくていいんだよ、母親は! と、このような気分になるのもやっぱりここに綴る文章が何らかの見栄とかいらない自意識に裏打ちされているからであって、母親が見るなら母親に見せるなりの見栄というものがあるし、なんというかこのしゃべっているような感じで推敲もせず改行もせずに文章をダラダラと綴るというのは、無意識にそんな感じになっちゃってるんですよというのを装いながら結構意識してやっている悪ふざけで、こういう種類の悪ふざけをしている姿というのは僕はあまり親には見せないんですよ。僕はそういうタイプなんです。まあ母親も老眼だから小さい文字がこんなにもビッシリ打ち込まれた記事は読めないだろう。そうか、親に読まれたくないときは今後このスタイルで綴ろうか。ここまで書いてけっこう長くなったので最近読んだ本の話はまた今度。

9/2(木)

昨日の続きだけど、そんでこれなんかどうでしょうという話。どうでしょうといっても別に薦めるわけじゃないんだけど、僕がこれから挙げる要素にピンとくるなら手にとってみても良いんじゃないでしょうか、あなたが面白がるかどうかは保証できないし、最後まで読み通してもらえるかもわからないけど、というくらいの話。目の前にいたら貸してあげるのだけどね。というのが、阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』(毎日新聞出版)。僕は恥ずかしながらこの阿部氏の作品を初めて読みました。仕事で献本してもらってです。ご献本頂いたのは良いけれど、いままでまったく読んでこなかったので読み味のわからない作家の小説が、これまた2段組みで478頁という浩瀚な本で、他にも読まなきゃいけない本や読みたい本が山積している僕にとっては、最初にとっかかるのになかなか根性を要したのだけど、読み始めたらすらすらと一気に。といってもその間に読まなきゃいけない本の読書を断続的に挟み続けていたので、1頁目に目を通し始めてから478頁まで通読するのに1カ月半くらいの期間を要したけれど。じゃあ一気とはいわないよな。まあそれはさておき、この作品はアラフォーでマリファナで逮捕されて執行猶予中のうだつの上がらない映画監督と、北朝鮮から密命を帯びて来日した女性のラブストーリーである。その密命というのが本作の核であり、ある映画評論が掲載されている映画雑誌を探し出す、というもの。で、その映画評論はヒッチコックに関するものであり、僕は取材をしたから知っているけどその評論は著者の阿部氏が若い頃に実際に書いたものなんだそうだがそれを本作では金正日が執筆したらしきものとして登場させ、2018年の実際の出来事である米朝首脳会談も絡めてその評論がなぜかどうやら国際情勢を左右するらしきキーアイテムなのではないかと、登場人物たちは右往左往するわけだ。なんで北朝鮮の密使と執行猶予中のアラフォー男が絡むのかというと、細かい理由は忘れたが(なんせ複数の本を並行して読みながら1.5カ月もかけて読んだもんだからよう)この男は新潟のヤクザに知り合いがいて、そのヤクザがこの北朝鮮の女を日本に密入国させる日本側の窓口をやっていたからなんだな。そんでどうもアラフォー男はこのヤクザに頭が上がらない事情があって、北朝鮮女が日本に滞在する間の世話役と映画雑誌探しのミッションを押し付けられてしまうわけ。そんで北朝鮮女は基本的に無口なんだがなかなか可愛らしい感じで描かれており、したがって独身で孤独なアラフォー男がマイってしまうのも不自然じゃない感じなんだけどこのアラフォー男の挙動がアラフォーにもなって童貞感丸出しのキョドり具合で、といってもまあ本当に童貞であるというわけではなさそうなんだがまあ自分に自信のないアラフォー男が本当に惚れた女に対してとる態度というのはこんなもんであろうというリアリティはある。そんで物語は二転三転しながらも神保町の古本屋街が出てきたり(まあそりゃ映画雑誌を探す話なわけで)、ぴんから兄弟似の裏社会の人物が出て来たり(こいつらが本作のベストキャラクターだな個人的には)と魅力的なシーンが盛りだくさんで、というかこのアラフォー男、北朝鮮女、新潟ヤクザ、ぴんから兄弟、古本屋の店主、殺し屋として登場するヤクザや拷問専門の請負業者などイカしたキャラクターが満載されており、作者自身が映画や音楽も好きだというだけあってそうした造詣も随所に散りばめられており、こうしたキーワード群にピンときたならちょっと手に取ってみてほしいと思うわけ。

9/19(日)
高校時代の先輩(UIさん)からハードディスクを預かる。

そこには、彼が当時から現在までにビデオカメラや携帯で撮りためた600超の思い出動画が格納されている。

それらの内容を1個1個確認し、データに「誰が映っているか(田中、鈴木、山田など)」「撮影したシチュエーション(学校、ライブハウス、飲食店、街中など)」「内容がわかる任意のタイトル(ライブのMCでスベるS、など)」のメタデータを付し、さらにそれらをエクセルで一覧表にするようにとのオーダーを受ける。期限は1週間だという。

高校時代の思い出に浸りたかったので無償で引き受けるも、動画が1本あたり平均5分として全部観るのに3000分(=50時間)もかかる。仕事と家事をこなしながら1週間で終わらせるのは不可能ではないが、睡眠時間を大幅に削りながらの超ハードワークである。

ちくしょう、これはどう考えてもタダで引き受けて良い仕事ではなかったと超絶に後悔する。しかも動画に、私が映っているものは1本もなかったのである! という夢を見ました。

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