編集Sの日誌 2020年3月

3/28(土)
引越しを行い、約5年暮らした東京・練馬区の富士見台を離れた。
記念に、富士見台で最も好きだったスポットの写真を貼っておく。

2階の「ゲームパーク」は全筐体で喫煙可、ドット絵の2Dビデオゲームがメインの、オールドスクールなゲームセンターだ。
ここで仕事帰りに「Street Fighter Ⅲ The 3rd Strike」をプレイするのが楽しみだった。
直接会話はしないが顔だけは知っている常連が2人くらいいて、どっちも俺より強いので、勝つまでやった。
最初はまったく勝てなかったが、そのうち1ラウンドくらいは取れるようになり、ついに常連2人のうち1人にはほぼ五分の勝率になった。
俺は相手に合わせて戦略を練るし、日々技術の向上を目指してプレイしていた。かたや相手はプレイスタイルがいつも同じだったから、成長した俺が追いついたのだ。
しかしもう1人には、たまにラウンドはとれるものの、最後まで勝てなかった。負けていた俺がいうのもなんだが、奴も先方はワンパターンだった。だが、基礎的な技術に差があり過ぎた。全部ブロッキングしてくるようなやつ、といえば「3rd」をご存じの方にはご想像頂けるだろうか。
俺がもっと長く富士見台に住んでいれば、いつか勝てたであろうに。

3/29(日)
「Tranquilized Magazine」を開設し、最初の記事を投稿してから1週間が経った。

このメディアができたきっかけは2月、沼袋界隈で加藤といつものように深夜までグダグダと呑んでいたときのこと。

「個人ブログとファンジンの中間みたいなウェブメディア、何かできないか」と話したら、後日、思いのほか立派なサイトをつくってくれたのがコレ。

3/30(月)
新型コロナウイルス感染症により、志村けんさん死去。
大いに堪える。

厳密にはドリフ世代ではないが、子どものときに衛星放送(?)でほとんど観ていた。
だいじょうぶだぁ、カトケン、いかがでしょう、バカ殿も好きだった。

最近では娘(3歳)がドリフの歌にハマって、「ズンドコ節」や「誰かさんと誰かさん」を大声で歌うのを妻が嫌がるから(いつの時代でも保護者には嫌われるものだ)、「ママがいないときにこっそり歌おうな」と教えてた矢先だった。
こないだテレビにいかりやさんと志村さんが少し映ったら、娘は大狂喜していた。
娘にとっては、プリキュアよりもドリフターズがヒーローなのだ(変な子ども……)。

今回の訃報を受けて、TV報道で昔の映像が流れまくるだろう。
娘はわけもわからず大喜びするだろうな。