7/1(金)
唐沢商会『ガラダマ天国』(ぴあ、1997年)
カルト評論家・唐沢俊一氏(主に原作)と漫画家・唐沢なをき氏(作画と、内容をつくることもあり)の兄弟タッグによる雑学エッセイ漫画。1992年から97年にかけて雑誌「TVぴあ」で連載していたものをまとめた一冊。このほど自室の本棚から引っ張り出し、人生でたぶん20回目くらいの再読をした。
この作品との出合いを私の読書史(誌)という観点から記すと、私が小学校2年生だった94年、テレビで「BLUE SEED」というアニメが放送されていた。内容の深いところまでは理解できなかったけど伝奇テイストのバトルもので、オープニングテーマが名曲なので気に入っていた。
その原作漫画である高田裕三「碧奇魂ブルーシード」が読みたくて、92年から96年にかけて発行されていた、知る人ぞ知る漫画雑誌「コミックガンマ」(竹書房)を購読していた(現在、「コミックガンマ」の名はWEBコミックマガジンに継承されている)。
この「コミックガンマ」、90年代特有のオタクテイストとサブカルテイストがごちゃ混ぜになった濃い雑誌だった。「デビルマン」へのトリビュート企画として色々な漫画家が描き下ろす「ネオデビルマン」シリーズなんかは今でも語り草である。とくに岩明均氏による「ネオデビルマン」は世紀末感満点のトラウマ作品で、いまだに思い出す(後に99年から2000年にかけて、講談社が単行本としてまとめた)。
その「コミックガンマ」で、独特の絵柄とノリからとりわけ異彩を放っていたのが、唐沢なをき氏による作品だった。毎回死ぬ役割の人が決まっているなど、1話完結型という連載漫画の表現形式を逆手にとったようなギャグ漫画「必殺山本るりこ」や、唐沢商会名義でのスチームパンク大作「蒸気王」は、当時小学生でスポンジのように物事を吸収する私の心に強烈な毒を注射した。
「コミックガンマ」休刊後、購読する漫画雑誌は「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)になった。(コロコロでなく)ガンマだの(ジャンプでなく)チャンピオンだのとひねくれた小学生だと思われるかもしれないが、当時の子どもが「るろ剣」や「スラダン」に夢中になっていたように、私は普通に「浦安鉄筋家族」や「グラップラー刃牙」に熱狂していたのだ。しかも「オヤマ!菊之助」も載ってるし。どう考えてもチャンピオン読むだろう!
その「週刊少年チャンピオン」で名作中の名作「鉄鍋のジャン!」を連載していた西条真二氏が、とある号の巻末コメントで最近読んだ漫画として取り上げていたのが、この『ガラダマ天国』である(やっと本題に辿り着いた)。身の回りで唐沢商会の漫画を読んでいる人はいなかったけれど、「エラい漫画家はやっぱり唐沢商会をチェックしているんだな」と感心し、すぐさま所沢の芳林堂書店に買いに行ったものだ。
かつて雑学王の名をほしいままにした兄・俊一氏の雑学本にはグロで猟奇なものが多く、それらの面白がり方についていけないと感じる部分もあるのだが、弟・なをき氏の(兄に比べれば)一般人に近い感覚でそれらを受け止め、兄のネタや所感に突っ込みなども入れる、ポップな絵柄の漫画で表現されるとうまい具合に中和されて、楽しく読める。
エログロネタや都市伝説なんてのはインターネットが市民権を得てからは珍しくもなんともなくなったが、コンテンツとして成立させるには「そのネタを誰が扱うか」というのが非常に重要だ。本書巻頭の兄弟対談でなをき氏が「純粋にネットから拾ってきたネタより、唐沢俊一という脳ミソを一回通って〝ろ過〟されたものの方が抜群に面白い」と発言しているけど、私はここで、「俊一氏のネタを、さらになをき氏の漫画というフィルターを通して読むのが抜群に面白い」と付言したい。
『ガラダマ天国』は、私が感受性豊かな少年時代を過ごした90年代前半から後半にかけての時事ネタにも触れた内容で、当時の出来事を改めて振り返る意味でも、定期的に読み返している作品のひとつなのだ。やはりというか、新興宗教ネタが目立つな。
そんな私が本作で最も印象に残っているのは「パンツ・パンティ問題」と題された1話で、「パンティ」という言葉は男と官能小説作家しか使わないのではないか、と問題提起するもの。これに大いに感銘を受けた私は、後の人生において飲み屋などで「パンティ」と口にする男性にことごとく「パンティって言葉は男しか使わないらしいですよ」とマウンティングする「逆ハラスメント」を繰り返す人間になったのでした。
7/4(月)
漫画の共同制作者が、登場人物に時々変な名前をつけてくる。基本的には「鈴木一郎」とか「山田花子」のように、ありふれた名前の人々が登場する世界観なのだが、たまに「むらたさとし」を「無等侘鎖賭死」としたり、「あいざわけいすけ」を「亜胃座輪毛椅子毛」としたりなど、現実にはまずありえない漢字をあててくる。しかも、こうしたありえない名前の人物たちに共通項はなく、ポツポツと脈絡なく出てくるのである。なので、無意味だし読者が(作者たる我々も)名前を覚えられないからやめてくれと申し入れた。そこで目が覚めた。
またある日、魚類の図鑑を読んでいると、ブダイの項にこう書いてあった。「昭和天皇が好んで食べたため、テンノウダイと呼ばれることもある」。へーそうかと思っていたら、これも夢だった。もっともらしい嘘情報をインプットしてくるのはやめてもらいたい。
7/6(水)
中学時代から寂しい懐と胃袋を吉野家の牛丼に助けられてきた私だから、吉野家に関する思い出が色々とある。
高校生の頃、学年でスクールカースト最上位のヤリチン大魔王が学校近くの吉野家で「牛丼ってさあ、肉に米に、玉ねぎと紅ショウガで野菜まで補給できるから、完璧な食い物だよな」と言うので、こんなヤリチン大魔王でも牛丼を食うんだなあと嬉しくなった覚えがある。
業界紙の記者になってから、神保町の吉野家で牛丼をかっ込んでいたらカウンターの向かいに準大手出版社の役員がいて、目が合うと「やあ」みたいな感じで顔をヒョイと上げてくれ、高給取りでも牛丼を食うんだなあと嬉しくなった覚えがある。
同じく業界紙の記者になってから、その神保町にほど近い地にある大手企業のオシャレイケメン広報担当者が、2度ならず3度も吉野屋で牛丼をかっ込んで慌ただしく退店するのを見て、あんなオシャレイケメンでも牛丼を食うんだなあと嬉しくなった覚えがある(「ちょっとランチしてくるネ」とか言ってオフィスを出てくるんだろうか)。
これはコロナ禍に入る前の、まだUber Eatsとかが普及する前の話だが、自宅近くの吉野家で牛丼をかっ込んでいたら、テイクアウトのところに並んでいる素敵な女性の後ろ姿が見え、こんな素敵な女性でも牛丼を食うんだなあと嬉しくなってボーっと見ていたら妻だったのでおったまげ、あわててメニューで顔を隠した覚えがある。
7/8(金)
安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した事件で、与野党関係者から追悼の言葉が続々と上がった。
日本共産党・志位和夫氏はさきほど、党のホームページで「私は、安倍晋三氏とは、政治的立場を異にしておりましたが、同年に生まれ、当選も同期で、同時代を生きたものとして、そのご逝去は、とてもさみしく、悲しい思いです。重ねて深い哀悼の意を表するものです」との声明を発表した。
情緒的な言説を除いても、世間的には「民主主義・法治国家において言論を封殺するテロ許すまじ」との論調が支配的で、その主張はどこまでも正しく、私だって面と向かって質されたら首肯せざるを得ず、今後もその原則が守られていくべきとの前提は認めたうえで、政治家・有権者それぞれに腹の内は様々だろう。
政治はスポーツではない。政敵の不幸にお見舞いの言葉を述べ、回復を願うという言葉を発したとしても、政界に復帰までしてほしいという願いは、情緒的にはありえても合理的にはありえないだろう。そのうえで彼ら彼女ら、公の対面を保ち、己の立場を危うからざるものにすべく計算した発言をしているに過ぎない。
注目すべきは、この事件が参院選にどう影響するかということだ。
身柄を確保された山上徹也被疑者は「特定の宗教団体に恨み。安倍元首相が(その団体に)近いので狙った」「(安倍元首相の)政治信条に恨みはない」との供述をしているという。朝日新聞デジタルの、午後8時38分の記事だ。
■「特定の宗教団体に恨み。近い安倍元首相を狙った」 容疑者が供述
この記事が出る前ではあるが、ひろゆき氏は午後4時頃、Twitterに下記のような投稿をした。
「社会に疎外されたと感じる日本人の多くは自殺を選んできたけど、他殺を選ぶ人が増えるという悪い予想が当たってしまってる昨今。
そろそろ、蔑ろにされた人々に向き合うべきかと」
毎日新聞デジタルは午後8時5分、立憲民主党・小沢一郎氏による「自民党の長期政権、長い権力が日本の社会をゆがめ、格差が拡大し、国民の政治不信を招き、その中から過激な者が暗殺に走った。社会が不安定になると、このような血なまぐさい事件が起きる」との発言を報じた。
■小沢一郎氏「長期政権が招いた事件」と持論 安倍元首相銃撃に
彼らのように、事件の背後にあったのかもしれない現象や社会課題に人々が思いを巡らせば、野党に浮動票が流入する可能性がある。
一方、メディアやSNSで支配的な安倍追悼ムードに流されて、与党に浮動票が流入する可能性もある。もしそうなった場合、(今回の犯人は政治的理由で安倍元首相を狙ったのではないとしているが)憎き安倍氏を討つことでかえって与党の盤石さを固めることに貢献したわけで、やっぱりテロは何の役にも立たないんだねという、これまた至極まっとうな結論に帰結するわけだなあ。
※(7/10追記)
9日、新聞各紙がどう報じるかと思って、朝日、読売、毎日、産経、日経を読んだ。
各紙とも、やはり「民主主義・法治国家において言論を封殺するテロ許すまじ」との論調。
しかし8日時点で、特定の宗教団体に恨みがある人物による犯行だったと報じられていた。
だとすれば民主主義や言論の自由に対する反逆ではないし、政治テロともいえない。
冷静に考えればわかるはずだったのに、各紙とも上記のような論調なのがおかしい。
「選挙演説中に」「元首相が犠牲に」ということで、各紙とも言論機関である我々がいまこそ筆を振るわねばと力み過ぎてしまったのではないか。
私はそんなに力んだつもりはないけど、やはり上記の文章中で少々ヤってしまったかも。
7/10(日)
昨日の「LIVE AT BUDOKAN」Vol.20、ありがとうございました&お疲れ様でした。
Nightwingsはライブ2回目のぺーぺーバンドですが、名物企画の節目の回にお呼び頂き、光栄でございました。
対バンも素晴らしく、Blood Prophecyのロマンティックなメロディに心打たれ、Little BastardsのMCも演奏も円熟したステージに興奮し、Another Dimensionは扇情的なメロディと攻撃的なパフォーマンスの組合せがスリリングで、AsbestosのMetalic & Crusty Thrashin’ Assaultな音像には打ちのめされました。
Nightwingsはこれから少し調整期間に入りますが、近い将来に必ずやまたライブをやりたいと思いますので、引続きよろしくお願いいたします。
一夜明けて今日は子守りDay。洗濯物やって布団干して娘とおままごとして選挙行って、妻子と食事した後、妻が何か職場に用事があるというので車で送り、そのまま娘の水泳教室の送り&迎えをやって、水泳教室後に娘がご学友らと遊ぶ時間の見守りをし、娘が自転車の練習したいというので付き合い、図書館に一緒に行って娘が絵本4冊読破するまでの時間で私は懐かしの『はれときどきぶた』などを読み、蝉が鳴き始めたので抜け殻を取りに行こうと娘が言うから神社に行ってウロウロしてきて、今ようやく一息ついたところです。こうも暑いなか、子どもはどうしてフルパワーで遊び続けられるのか?
7/17(土)
『組版/タイポグラフィの廻廊』(著=府川充男・小池和夫・小宮山博史・日下潤一・前田年昭・大熊肇、白順社、2007年)
出版業界で働いていて、しかも記者・編集職なので文章を扱うため、業務を通してこういう観点の議論に触れることはあるのですが(入社時には日本エディタースクールの本を何冊か読みました)、どちらかというと紙幅上の都合を優先してどんどんヤってしまう派なので、身のすくむ思いがし続ける読書体験でしたね。社内の整理の人にもよく怒られてますが。
前田 例えば和文で雨垂れや耳の後を全角空けるというのは、記号自体が同等の一字分の場所を取っているからですね。また起しと受けを同等に扱う括弧類というのは、会話や引用が地の文に埋れないために使用するもので、括弧に包まれた字とか語とか句を際立たせる機能を担っている。そういう論理を無視して何でも詰め詰めにする、あるいは部分的に詰めるというのは〝記号の階層〟を壊すことに繋がる、これは通常は〝日本語の論理〟に反するわけですね。(p.172)
これの後に、「もちろん新聞組版のような特殊な世界では……」と続けてくれているが……。そうか、うちは特殊系だったか。
府川 「良い組版、悪い組版」という言い方はあまり好きではないのですが、ロジックのきちんと通った組版とそうでない組版があるとは言えますね。ある読点の後ろが五十パーセント空いていて(全角取り)、他の読点の後ろに空きがない(半角取り)、その両者が同一行の中に存在しているのはやはり堪えがたいと感じる。同一階層の約物のスペース取りは同一行の中で同等でなければならない。これは理窟ですけれど、記号が文章のリズムをつかさどるものでもあるという点で経験的にも裏打されていると感じます。(p.180)
この書名も、写真をよく見ると全角スラッシュ「/」ではなく、半角スラッシュ「/」の後ろに半角スペース入ってません? こういうことを見過ごしてはいけない世界なんだなあ。
7/25(月)
朝、新たに買ったという青いワンピースを着た妻が出会い頭に「どう?」と聞いてくるが、不意をつかれたために心の準備ができておらず、「ンッギレイダヨッ」などと噛んでしまう。今日一日終わった……と気落ちする私に、心優しき妻が挽回のチャンスをくれる。
妻「さて、私はブルベ、イエベのどちらでしょう?」
私「何それ? 右翼か左翼かみたいな話か?」
妻「ちげーよ。肌の色がブルーベースかイエローベースかで、似合う服の色が違ってくるんだよ。私はどっちでしょう?」
私「(もう失敗したくないので真剣に考えてから)今青いワンピース着てるから、イエベだな! そうだろう!」
妻「ちげーよ! なんでそうなるんだよ!」
私「今着てる青いワンピースがとても似合っているということは、肌の色はその補色であるはずと考えたんだ。補色を身につけることで、お互いがビビッドに映えるという」
妻「私の肌の色は、どう見ても青白いだろうが! 青系の肌の人は、青系が似合うって話だよ! 補色なんて考え方はないんだよ!」
今日一日は息を潜めるように気配を消して過ごそうと思います。
7/27(水)
娘「パパ、トマトは英語でなんていうか知ってる?」
私「知らん。教えて?」
娘「トメイトゥ」
私「ほう……、ならばバナナは?」
娘「バナーナァ」
私「なかなかやるねえ。では、お尻は?」
娘「オシーリィ」
私「おならは?」
娘「オナーラァ」
私「トマトは?」
娘「トメイトゥ」
引っかからんね。
7/28(木)
娘「パパ、オリジナル妖怪しりとりしよう」
私「いいよ。じゃ君からどうぞ」
娘「草食い女」
私「なめくじ入道」
娘「うんこ食い男」
私「コウモリじじい」
娘「イス取り女」
私「ナマコばばあ」
娘「アンポンタン小僧」
私「君の考える妖怪はなんだか、現実にいそうな奴ばっかりだな」
娘「そうだよ。私は、現実的な女なの」
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