【6/26更新】「ベティ・ペイジ」やら「2000連休を与えられた人」やらの話 編集Sの日誌 2022年6月

6/9(木)

リチャード・フォスター『ザ・リアル・ベティ・ペイジ』(訳=伴田良輔、発行=UPLINK、発売=河出書房新社、2000年)

1950年代のアメリカで活躍した伝説のピンナップ・ガール、ベティ・ペイジの人物伝。

本書の270頁に、「ベティ・ペイジ・コレクターの共通点は、彼らが最初、自分だけが彼女に注目していると考えることから始まる。彼らはベティは自分の理想の女性で、ほかの者は誰も彼女を知らないと思っているが、やがて実はとてもポピュラーだということに気づく」という記述がある。これには我が意を得たりと膝を打った。

私も、ネットで夜な夜なobsceneでbizarreな画像を渉猟して自分の性癖をヒン曲げ続けていた思春期に偶然彼女の画像に出会い、密かにとても気に入っていたものだ。その名前と、彼女が有名人であることを知ったのは後の話だ。

私が彼女のグラビアにどれくらいインスパイアされているかというと、10年くらい前にWitchslaughtで“Bondage Lover”という曲を書き、自主レーベル・Bondage Lover Recordsのロゴも彼女をモデルに描いたし、Nightwingsを立ち上げる前から構想していた「自分のバンド」のバンド名の候補の1つには「Bondage」というのがあったくらいだ。
(あと、ボンデージが登場する変な漫画を非エロ系の商業漫画誌に何本か投稿し、全部ボツになったりもしている)

このように、たった数枚のグラビアからそこまで執心した相手ではあったものの、寡聞にして彼女の生い立ちやモデル引退後についてはまったく知らず、本書で初めて彼女の人生の全貌を(取材された範囲においてではあるが)知った。

まあ想像通りというかまったく平坦な人生は歩んでおらず、幼少期は父親から性的虐待を受け、複数の兄弟と一緒に引き取られた母親の下では極貧生活と母親からの過干渉にあえぎ、大人になってニューヨークに出るや男に騙されて暴行を受ける。
女優を目指しながら、本人の意識としてはあくまで「日銭を稼ぐための仕事として」グラビアモデルの仕事をするが、やがてエロティックな創作物に対する風当たりが強くなり、ニューヨークを去る。この時期が、世間に最も知られた彼女の活動期間なわけだが、10年にも満たない。
その後、偏執狂的にキリスト教の宣教師を目指したりしつつ精神疾患を発病し(本書では、幼少期に性的虐待を受けたのが原因ではと推察されている)、ナイフで人を刺して殺人未遂で逮捕され、長い時間を精神病院で過ごすなどす。本書には、年を重ねてやつれた、モデル時代からは見る影もなくなった彼女の写真も掲載されている。
若い頃(とくにモデル時代)のペイジは、明るくはつらつとした性格だったようで、よく恋愛し、わりとすぐに結婚するものの、これまたわりとすぐに相手と関係が悪化して離婚する(多くの場合は、夫の束縛に彼女が嫌気が差したためだが)。モデル引退後の結婚では、夫の連れ子から慕われず辛い思いをし、離婚後にはナイフで子どもたちをおどしながらキリストの肖像の前で祈らせるなどの異常行動をとる。

有名人に対してファンとか推しとか簡単にいうけれど、彼女/彼の商品化されていない上記のような部分も含めて、全存在を愛せるか? と問われれば、これはかなり厳しいと言わざるをえない。
かくいう私もまた、自分という全存在を開示する必要のない「ファン/客」という安全圏から彼女/彼の無毒な部分を舐めているに過ぎぬ。かつて、「スクリーンの前」という超安全圏から彼女のピンナップにエレクトしていたように。彼方がグラビアクイーンなら、此方は単なるティッシュ王子である。

しかし、長い年月の間での浮き沈みや、人間性における光と闇の部分などをひっくるめてその人なんだと考えられるくらいには、私も年をとった。そのうえで、相手が表現者であるならば、その創作物の良し悪しはその他の余計な人生的要素を取っ払った審美眼で評価したい。
彼女が、私が愛するグラビアを創造した期間のことを肯定的に捉えているらしいという関係者の謂いが本書で紹介されていることは、救いだった。

曰く、「彼女は熱心なクリスチャンだ。宗教を真剣に考えている。私たちはそのことについて何度か話し合った。彼女は自分の過去を恥じていない。昔も今も罪悪感を感じていない、と言っていた。自分の経歴について彼女はとてもポジティブな態度をとっている。モデルをしていた7、8年間は自分の人生における怠惰な期間だと考えているんだ。私たちにとってのベティ・ペイジの黄金時代は、彼女にとっては多分、ニューヨークでモデルをしてちょっとした稼ぎを上げた期間に過ぎないようだ。彼女はニューヨークを去って聖書大学に入ってから、本物の人生を歩み始めたんだ」「人々が今も彼女のことを思い、彼女の雑誌や写真を集めていることを、彼女はとても喜んでいる。35年前に足を洗ったのに、今も彼女が注目されているのは不思議なことだ。彼女は今のシンプルな生活に心の底から満足しているが、エージェントやロイヤリティをまだ必要としている唯一の理由は、家族のためなんだ。もし誰かが金を儲けたら、その家族が何らかの利益を得るのは当然だ。ベティには贅沢な暮らしをする気は全くない。彼女は簡潔な暮らしを気に入っているよ」(ともに332頁)。

2008年没。85歳。

6/11(土)

上田啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』(河出書房新社、2022年)

仕事を辞めて、図らずも2000日以上の連休を過ごすことになったブロガー/ライターの著者が、身の上に起こったことを綴った本。

2000日も連休が与えられたらどうなるだろうか。まずは朝寝に昼酒と自堕落な生活を心ゆくまで楽しむも、だんだん鬱々とした気持ちが高まってきて、やはり何らかの活動を始めるだろうという想像は容易にできる。本書の筆者は、早々にその境地に達する。本書の本丸は、その後の展開にある。

デフォー『ロビンソン・クルーソー』(岩波文庫)が愛読書である私にとって、この本は好みのタイプだった。『ロビンソン・クルーソー』は、孤島でサバイバルすることになった主人公の活動を、デフォーらしいジャーナリスティックな目で観察する調子で綴られた、一人称視点の小説だ。『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』も、同様の視点で著されている。

主人公が置かれた悲劇的境遇と、その結果として行うことになった(物理的な)冒険のドラマティックさは、もちろん『ロビンソン・クルーソー』が勝る。しかし、『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』の筆者が辿った思考の軌跡、いわば思索的冒険とでもいうべきもののスリルは、『ロビンソン・クルーソー』に勝るとも劣らぬものがある。

彼は暇な日常を埋める様々な暇潰しが己の内面にいかなる影響を及ぼしているかを観察し、その暇潰しをあえて止めてみたりしたところ自分にどのような変化が生じたかををつぶさに記録していく。

やがて彼の記録癖は日常のあらゆる行動を分単位で記録することにおよび、エクセルで管理するために各行動を簡略化して記述するための符牒を用いだす(例えば、大便はunkoと打つ。「家畜人ヤプー」を思い出した)。

さらに、現在を記録するだけは飽き足らず、過去に触れた本や映画などの創作物、関わっ人物、思い出せる限りの出来事とそれに付随する感情をもリスト化し、データで管理しようと試みる。

2000連休を与えられた人間が、全員こんな行動をとるわけではないだろう。僅かな日銭を稼いでひたすらパチンコ、という人もいるだろうし、数カ月で連休に耐えられなくなって定職を求めだす人もいるだろう。

個人的には、この筆者の、自分に関することならなんでもデータ化・リスト化して、その傾向を分析してみたいという性向には、大いに共感するものがある。

私自身、日頃から自身の活動をアーカイブしておきたい性質で、自分が触れたあらゆる創作物は2012年以降からすべて独自の分類のもとブクログ(アカウント非公開)に登録しているし、2017年に始めたブログ(誰にも教えてない)では初めて訪れた飲食店と料理を市町村別に記録しているし、自分が携わった記事はすべてスクラップして保存している。

そんな私だから、SNSのUIとしてはFacebookやTwitterよりもMixiのほうが好きである。日記が年月別にアーカイブされるのが良い。じゃあなんでFacebookやってるのかというと、こちらのほうが使っている人が多いから仕方なく、である。

ちなみに、Mixiもいまだに数年に一度ログインしては、学生時代の知人の皆様の日記やレビューを読み返している(こういうことを告白すると、怖い、気持ち悪い、と言われる)。別にSNSに限らず、先日投稿したサークルの名簿みたいなものや、各種卒業文集なども、いつでも取り出せるようにしておいて定期的に読む。

別に過去の記録にだけ興味があるのではなくて、それが連綿と未来に続いていったり、そこから新たな物事が生み出されることにも関心がある。だから定期刊行物が好きだし、自分がウェブメディアやバンド活動など、常に表現の捌け口を用意しているのにもそうした理由がある。

この長ったらしい文章、後半の主語が全部「私」になっていて薄気味悪い。要するに、本にかこつけて自分語りをしただけの駄文であります。普段、ろくに人とコミュニケーションを取らずに生きている人間がたまに気の置けない知人に会うと、相手をうんざりさせるくらい自分語りをしてしまう現象に似ていますね。

6/13(月)
昨日の「暮らし×11.34」Vol.6@国分寺Morgana、ありがとうございました&お疲れ様でした。Nightwingsのデビューライブをやってきました。

出番直前は2年半ぶりのステージに緊張して何をしても心ここにあらずみたいな状態でしたが、いったん音が鳴り始めてしまえば心も身体も軽くなったような感じが。やりながら感覚を1つずつ思い出していたというか。ひとまずデビューライブをやり遂げられて良かったです。

今まであまりお呼ばれしたことのない界隈でのライブだったため、対バンも新鮮で新たな驚きと感動に満ち溢れていました。

ニューロック~サイケ~ニューウェーブ風の音像のなかで耳に残る旋律を歌い上げるバラナンブは、不勉強ながら存在自体を始めて知ったのですが、衝撃を受けて完全に脳天をヤられましたね。音源買った。

80’sジャパニーズパンク的なものをベースにしていると思われながら、歌謡曲~J-POP的な曲調もみせる経血の幅の広さには舌を巻きました。マグダラ呪念は圧巻の貫禄と世界観でステージを魅せていました。

主催の沈む鉛は、鉛氏とクラブペキンパ―でご一緒していたこともあり、音源は聴いていたし人同士では割とお付合いがあったのですが、ライブを見るのは初めて。昭和歌謡のような歌の下で荒れ狂う、ベースとドラムのみなのに万華鏡のように展開するスラッジ音像が素晴らしく、芸事として完成されたことをやっているなあと。アルバムも名盤ですよ!自分も精進したいと非常に刺激を受けました。

私がやっておりますNightwings、次は7/9(土)@西荻窪PitBarです。
こちらもよろしくお願いいたします。

Nightwingsのデビューライブ映像はこちら。

6/18(土)
鈴木涼美さんの小説「ギフテッド」(「文學界」6月号、文藝春秋)が芥川賞候補入り。

賞自体は誰が受賞してもいいんですけど、鈴木涼美さんの既刊、書店でなかなか見かけないものが多いから、これを機に増刷されてほしい。

そして、作品ごとに社会学だったりエッセイだったり女性向け自己啓発だったりと棚がバラバラで見つけにくいので、1カ所にまとめてほしい。

6/19(日)
【職業病】

司会の先生「それでは、ご父母の皆様は子どもたちの隣に移動し、手を繋いでお待ちください。最後に園長先生からのご挨拶です」

園長先生「えー、うぉっほん、はい。えー、皆さん、こんにちは。園長の〇〇です。ご父母の皆様、本日はお忙しいなか、保育参観会にお越し頂きまして誠にありがとうございます。えー、本日は、この連日の雨のなか、奇跡的にも天気の良い日となりまして、非常に良い会になったと思います。えー、この保育参観会、当園では毎年の恒例行事にしていたんですけれども、2020年、21年は新型コロナウイルス感染拡大の影響から、実施を見送っておりました。近頃は感染も収束傾向にあるということで、今年は1クラスを2つに分け、2部制というかたちをとり、実に3年ぶりに実施させて頂くこととしました。1部に参加されました皆様におかれましては、朝早い時間からお集まりいただき、ご協力に心より感謝申し上げます。えー、子どもたちも、先生たちも、お父さんお母さんたちが見に来てくださるということで、いつもより緊張していたと思います。いつもは、もっとにぎやかなクラスもあるんですよ。それでも、子どもたちは、朝の歌やご父母の皆様へのプレゼントの工作を元気いっぱいに行いました。ぜひ、どうぞ、おうちに帰ったらたくさんたくさん褒めてあげていただきたいと思います。えー、子どもが親を敬い、慕う。これこそが、敬愛の心であると、当園では考えております。敬愛の心がご家庭や教室、そして社会に広がること。これこそが、子どもたち一人ひとりの幸せな人生をかたちづくり、ひいては日本の未来を明るくするものと信じております。そうした意味において、本日の保育参観会は、誠に有意義な会であったと自負しております。ぜひ、どうぞ、おうちに帰ったら子どもたちと今日行ったことを一つひとつ振り返って頂き、それぞれの意味を噛みしめて頂きたいと思います。本日は誠にありがとうございました」

司会の先生「園長先生、ありがとうございました。それでは、これから子どもたちとご父母の皆様で一緒にお帰りいただきます。すぐに2部が開始しますので、手を繋いで、速やかにご退場頂けましたら幸いです。ご協力をよろしくお願いいたします」

俺(先生! 先生! このまま皆を帰してしまって良いのでしょうか! 皆くっちゃべってて、だーれも園長先生の話を聞いていませんでしたよ! 俺は聞いてました! 全神経を耳に集中してました! 園長先生、とーっても大事なこと言いました! あそこでふざけてる園児とか、あそこでスマホいじってるお父さんとか、あそこで談笑しているママさん連中とかを指名して、園長先生が何を話されていたかを皆の前で発表させるべきです! このままでは、本日の会の意義が皆に理解されているか不安であります! 日本の未来が不安であります! このままでは、敬愛の心が……敬愛の心が……!)

■前月

人生初の坊主頭にしてみました 編集Sの日誌 2022年5月

■次月

唐沢商会『ガラダマ天国』についての話 編集Sの日誌 2022年7月

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