「埼玉はダサい」というのは、何でも東京と比べるそいつの心根がダサいのだ

政府の要請に従ったわけではないが妻の要請には従い、結果として県内(西部)で家族と過ごしたゴールデンウィークだった。

「ダ埼玉」という言葉や「翔んで埼玉」という映画に象徴されるように、とかく東京と比較されては自虐的に語られがちな埼玉県だが、個人的には自分が住む県にそのような感想は抱いていない。

とくに、山があり、川があり、地場産業に根差した伝統を感じさせる街並みがある秩父やその周辺の市町村は、間違いなく東京23区にはない埼玉県固有の価値だ。(そのような地が東京にあるとすれば、武蔵村山市とか檜原村とか瑞穂町とかである)

都会としての東京に比べれば、所沢や大宮は中途半端な都市だ。
所沢駅前の「プロぺ通り」は、『首都圏住みたくない街』(逢阪まさよし+DEEP案内編集部・著、駒草出版)で「池袋の縮小コピー版」と形容されていたことも納得の垢抜けなさだ。安い外食チェーンと、ここ数年の傾向だがガールズバーばっかり。

所沢はせめて所沢駅から西所沢駅へ続く「銀座通り」に立ち並んでいた蔵造りの街並みを保存するなどすれば〝プチ川越〟くらいにはなれたと思うのだが、相次ぐ再開発によって没個性的なタワマンだらけになってしまい、景観と文化が死亡した。
住友不動産と西武鉄道がイチオシする駅近のタワマン「クラッシィ」の、1階商業テナントに入った店は「日高屋」だった。日高屋はプロぺ通りにあるからもういい。

こうなったら、田舎ならではのノスタルジーは狭山市、格式ある街並みの保存は小川町あたりに任せてしまおう。小川町駅近くにある「女郎うなぎ 福助」、素晴らしい。上述の「日高屋」を運営する、㈱ハイデイ日高の創業者の出身地である日高市もなかなか渋いぞ。

大宮は西武線ユーザーの生活圏ではなく、私にとってはディスクユニオンと、そこに行くときに車を停める駐車場が位置する古典的なソープ街のみが印象に残っている街である。これはこれで風情があって良い。通りの入り口に薬局とうなぎ屋。

かつて、当時交際中だった妻とそこを通りかかったとき、中華風の店構えのソープランド「桃仙郷」を妻が中華料理店と勘違いし、「高級そうな店だね」というのでこれはソープだと説明したら「ソープと普通の風俗って何が違うの?」と問われ、日本の風俗店の各種業態を説明してあげたら、ひとつの業態を説明するたびに「お前はそこに行ったことがあるのか」と追及されて非常に面倒臭かった思い出も付記しておきます。

県民にとっての東京への門である池袋も、前掲書『首都圏住みたくない街』で「埼玉の植民地」と揶揄され、都内のターミナル駅がある街のなかではステータスがかなり低めである。

要するに俺がここでいいたいのは、埼玉県は行政も県民も、東京の都会っぽさを追い求めるのはやめたほうがいいということ。それではいつまでたっても「東京の下位互換都市」にしかなれないからだ。埼玉県はもっとまっすぐに「埼玉県らしさ」を好きになり、それを追い求めるべきではないか。

といいつつも、ここでいう「埼玉らしさ」とは上述の「秩父とその周辺の市町村」あたりの「らしさ」であって、実は一口に埼玉といっても、東西南北でかなり文化が異なる。

とくに、住民が日常使いする鉄道会社が異なる東西の断絶は凄まじく、西側の所沢市民(というほど県の西側でもないんですけどね。位置的には真ん中くらい。秩父と飯能が広すぎるのよ)である俺は、越谷、春日部、久喜など東部のことをほとんど知らない。たぶん東側の人たちも、西側のことをあまり知らないだろう。
同じ23区でも、練馬区民と目黒区民がお互いのことをあまり知らないように(元練馬区民としての見解を述べると、この2区は副都心線で繋がってるけど、生活水準が違いすぎてお互いに興味がないのではないでしょうか)。

ちなみに、写真はここ1年で娘と訪れた埼玉県各所の写真であり、必ずしもゴールデンウィークの思い出や記事の内容とは関係がない。