神保町を代表するアダルトショップ「芳賀書店」(東京・千代田区)。芳賀英紀氏はその3代目として経営に奔走しながら、SEXセラピストとしてコーチングやイベント運営にも尽力している。かつては大手音楽事務所に所属して歌手を目指していた一方で、SEXを極めんと一念発起し、約3000人もの女性と性的経験を重ねてきた。同氏の性――すなわち、セックス、持ち前の性分(さが)、そして半生(SAGA)について、「芳賀英紀の性(SAGA)」として全9回にわたり連載する。
(聞き手=杉本憲史、取材日=2021年7月15日)
芳賀英紀の性(SAGA)
【第5回】
何かを期待してことに臨み、意図した結果が得られなかったとき、人はこじらせる
――高3のときに3Pで童貞喪失し、3回射精して果てたところまでお話頂きました。それからヤリチンに変貌する過程の話を聞かせてください。
僕はヤンキー生活を経て、歌に青春を捧げました。「やりきる。負けたくない」。そういう気持ちを原動力に生きてきたわけです。
しかしその3Pがすごい体験でした(*1)。さっき話にも出た「こじらせた人たち」(*2)のなかには、こういう敗北体験をした人もいるんじゃないかと思います。何かを期待してことに臨み、意図した結果が得られなかったときに、人はこじらせる。当時の僕にそういう理解はなかったのですが。
「誰にも負けたくない」という思いがあるなかで、「女性」に負けてしまった。そのせいで、色々な女性と交わることで、自分がどういう評価をされるのか、ということに意識が向いた。
――交わる女性は、風俗で知り合った女性が多いと伺いました(*3)。
はい。ナンパができないので。
――お酒も飲まないですしね。
そうです。
まあ、20代になると、芳賀書店を継いでからバーのオーナーに知り合いができたりしたので、そういうお店に出入りすることはありましたけど。そこで、1人で来てる女性客と引き合わされたりなんてのはありましたが、一般の方との出会いはそれくらいです。
基本的には、セックスワーカーの方が多かったです。とにかく女性や「性」に興味があったので、そういう方のほうが〝わかってる〟感じがしたんです。
性に関する技術は高い一方で、心に闇を抱えている方が多い印象でした。エロさにしても、人生におけるエラーの起きやすさにしても、一般の女性よりも色々な意味で過度なんですよね。そういう人に興味があった。
今となっては恋愛や性愛は勝ち負けじゃないと思うけれど、一般の人だと痛烈にバツを突き付けてくる人は少ないなかで、セックスワーカーの方ってマルバツがはっきりしてる。そこに惹かれたというのもありました。
――バツを突き付けられると、傷つくのではないですか。
そこは、「ちくしょう、負けねえぞ」っていう思いです。音楽でも、「鼻歌にすらなってねえ」って言われて、傷つきはしたけど「クソ、やってやるよ」と。同じ感覚です。
――3Pで〝負けた〟ときも?
はい。もう、メラメラと。
――3Pで、年上の経験豊富な女性に負けたっていうのが、芳賀さんのセックス遍歴の原点だったのですね。セックスにおける「負け」って何なんでしょう。なぜ3Pをしたときに、「負けた」と思ったのですか。
帰るときが一番わかりやすくて、こっちはもう無我夢中で汗だくで、ヘロヘロなんですよ。でもむこうは、2人して余裕な顔をして「じゃあまたね~」みたいな。これって、明らかに負けてるじゃないですか(笑)。
それまで、喧嘩でもあまり負けたことがなかったので、あんなに決定的な負けを押し付けられたのは久しぶりで。「見返してやる」という思いもあったんですけど、その瞬間は落ち込みました。
今思えば、あれはありがたい経験でした。後の原動力になったので。
――その後、セックスの回数を重ねていくなかで、「心と心のセックスが一番良いんだ」という結論(*4)にたどり着いたきっかけは何ですか。
たくさんの人を傷つけたからですね。
18歳のときに考えたのは、平日5日間に毎日セックスしたいから、彼女が5人欲しい、ということ。
でも5人いても、それぞれ生活の事情や女の子の日があるから、綺麗に1日1人というわけにいかないのです。で、割り出した結論が、「常時7人の彼女」。
でも、そんなにたくさん彼女をつくっても、付き合いが続くのは平均で3カ月くらいでした。
やはりずっと付き合っていると、相手から「あなたの1番になりたい」などの色々な不満が噴出してくるんです。
振り向いたら相手が包丁を持ってて、刺されかけたこともあります。自分の手首を切る子がいたり、投身されることまでありました。
不思議なことに、人を傷つけると自分も傷つくんです。あるとき、「なんか俺、傷だらけになってるなあ」と感じました。セックスをするって、本当はとても幸せなことのはずなのに、人を泣かせて傷つけて、自分も傷ついて。その繰り返し。
当時は、1日に3人とセックスすることもありました。そんな生活を10年も続けていたら、経験人数が2000人くらいになっていました。
――その頃は、セックスに何を求めていたのですか。
「相手を性的に喜ばせられる、万能な自分」です。
歌と一緒です。歌なら歌で、プロならどんなジャンル、どんなシチュエーションでも聴き手の心を動かすことができないといけないと思っています。それと同じで、自分自身のセックスを「極めていく」という感覚です。
僕は歌を通して、365日努力をした結果としてしか得られない成長や自由があることを知りました。答えがないことを死ぬまでやり続ける覚悟をもつことで、初めて見える世界があるんです。
どんな分野でもそう。そのときの僕にとっては、それがセックスだったんです。
そこで考えたのは、歌と同様に人と同じことをしていてはだめで、生活環境も含めてセックスに集中できる体制を構築しないといけない、と。
でも、28歳くらいで疲れてしまったんです。中折れが始まったんですよ。「まずい、インポになるのかな」と思いました。
――セックスに興奮しなくなった?
そうですね。達観が始まってきたといいますか。 もう1人の自分が、今どういう気分でどういう体位でいる、みたいなことを分析し始めるようになったんです。
そんななか、29歳のときに1回目の結婚をしました。幼馴染からの紹介だったので、信用もあって出会って2カ月半でのスピード入籍でした。
その翌年に東日本大震災が起こりました。そのときはすでに芳賀書店の社長を務めていた(*5)のですが、日本全国を買い控えムードが覆うなか、3カ月で4000万円もの赤字を出して、社長をクビになってしまいました。さらにその翌年、金銭感覚などの不一致から離婚しました。
このとき、公私どちらも積み上げてきたものが、一気に崩れてしまった。歌に、そして途中からは芳賀書店の経営に捧げ、かたや職人のようにセックスを極めんとしていた僕の10年強は何だったんだろう……と。
そうしたら、景色が白黒になってしまったんです。本当に何を見ても色がない。比喩でもなんでもなく、多摩川の河原で体育座りをして、「俺何してんのかな……」と思い悩んで。
そのときに湧いてきた感情は、こんな僕を「褒めてほしい」「肯定してほしい」というもの。それで、当時関係があった女性に片っ端から電話して、「俺とのセックス気持ち良かった?」とか聞くんです。
でも、そういうときに欲しい答えって、望めば望むほどもらえないんですよね。向こうもこっちが落ち目なことを直感でわかるから、ふられ続けて。とにかく、芳賀書店の社長としてでも、男としてでも、何か1つくらいは認められたい。でも、誰からも認めてもらえない。
それで、「何で俺の思考回路はこんな風になってしまったのか……」って自問自答するうちに、結局は「このクソダサい俺を認めるしかない」という結論に落ち着きました。仕事もできるようになりました。
しかし、セックスには恐怖心をもってしまいました。
「どんなに俺が好きとかセックスが気持ち良いとか言ったってさ、俺が欲しいときに欲しい言葉をくれないし、どうせ俺のことなんてわかってくれねえんだろ」
こんな具合に、女性に対していじけていたんです。
そんな折、名古屋に出張してデリヘルを呼んだときに、今の家内と出会ったんです。そんなときにどうしてデリヘル呼ぶんだって話ですけど、僕のモットーは、「出張したらデリヘルを呼ぶ」なんです(笑)。ビッグデータのためにね。
そうしたら、「なんかこの女性波長が合うぞ……」と感じ、その場でセックスまでしてしまって。それが現在の家内でした。2016年のことです。
その時点での経験人数は、3000人ほどになっていたと思います。そのなかで初めて、心から信用できる女性に出逢えたんです。家内のおかげで、ぼくは「対女性」というテーマについては救われました。
*1 第3回参照
*2 第2回参照
*3 第2回参照
*4 第2回参照
*5 2002年、21歳で芳賀書店に入社し、社長就任
■芳賀英紀(はが・ひでのり)
1981年、東京生まれ。神保町のアダルトショップ「芳賀書店」三代目。SEXセラピストとしてコーチングや講演活動を行い、フェチズム文化維持向上委員会も運営する。連載、執筆多数。Twitter Facebook
■杉本憲史(すぎもと・のりひと)
1986年、東京生まれ。埼玉育ち。ウェブメディア「Tranquilized Magazine」編集者、出版業界紙「新文化」記者。編著書にディスクガイド『Vintage and Evil』(オルタナパブリッシング)がある。NightwingsやWitchslaughtでバンド活動。Twitter Facebook
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