神保町を代表するアダルトショップ「芳賀書店」(東京・千代田区)。芳賀英紀氏はその3代目として経営に奔走しながら、SEXセラピストとしてコーチングやイベント運営にも尽力している。かつては大手音楽事務所に所属して歌手を目指していた一方で、SEXを極めんと一念発起し、約3000人もの女性と性的経験を重ねてきた。同氏の性――すなわち、セックス、持ち前の性分(さが)、そして半生(SAGA)について、「芳賀英紀の性(SAGA)」として全9回にわたり連載する。
(聞き手=杉本憲史、取材日=2021年7月15日)
芳賀英紀の性(SAGA)
【最終回】
何か1つ、命をかけて取り組めば、人生が変わる
――芳賀さんと話していると、宗教家と話しているような錯覚を覚えます。
それよく言われる(笑)!
――人間関係や物事の理を、根底まで突き詰めて考える人だから。この人に程度の低い愚痴をこぼしたら、バシッ! と跳ね返されちゃうだろうな、という。そこがある種、カリスマ的な魅力に繋がっているんでしょうね。もともとの素質と、生き方で体得していかれたことが、今日のお話でわかりました。カリスマ的といっても宗教指導者のようなものではなく、例えば仏教でいうと出家せずに世俗の仕事に揉まれながら、信条を強くもって生き抜いている人のような。
それは多分、僕の母方の祖父が日蓮宗の住職だからですね。母方の祖父はサラリーマンだったんですけど、戦争から帰ってきて開祖となったんです。日蓮宗では大僧正まで行った人で。
僕が小さい頃、商店街を歩いていたお爺ちゃんの背中がすごく印象に残っています。「この人を超えなくちゃいけない」と直感的に感じていました。それで、宗教学や色々な国の宗教を勉強したことがあるんです。すると、あらゆる宗教は結局、「唱導」(思想・主張を唱えて人を導くこと)にいきつく。
唱導って簡単なんですよ。簡単にいうと、「あそこにいくと楽しいよ」っていう場をつくれば、皆行くじゃないですか。それが商売としても楽なんですけど、僕はそれじゃ楽しくない。汗かいて苦しんで、血を吐いて、その果てに頂く「ありがとう」という気持ちのこもったお金が一番ありがたいし。何がその人にとって楽しいか、というのも当人が決めることなので。
宗教家っぽいって、よく言われるんですよ。それで、仕事のうえで恩人にあたる大先輩に「宗教っぽくなるの嫌なんです」って言ったら、「芳賀君、商売は結局宗教なんだよ。そこを割り切らないと、行きつきたいところに行けないんじゃない?」って言われて。半分は納得しましたけど、やっぱり唱導的なことに抵抗がある自分もいます。
唱導って責任をとらないので。責任を取ると決めたうえで、人々についてきて頂くんなら良いんですけど。
僕が仮に宗教家になって、下部組織みたいなものができたとしても、僕は責任をもちますよ。ただ、「下部」というのも、何をもってそういうのかよくわかりませんが。
会社組織を三角形で表すとすると、経営者が頂点にいて、その下にスタッフがいるという図がよくありますよね。これは対外的な顔です。
社内ではむしろ、組織は逆三角で、僕は一番下にいるんです。だって、僕は皆がつくってくれた農作物を頂いて生きてるんだから。僕の仕事は、責任をとることと、皆が働く環境をつくることだけ。実際に畑を耕したりする労働は、皆にやってもらうという構造なのです。この構造は、宗教でも同じですよね。
――芳賀さんは、頭の回転が普通の人よりも速い印象を受けます。人生の摂理みたいなものも根源まで見通そうとする。そこが宗教家っぽくみえるのかもしれません。
頭の回転とか能力とか、そういうことが問題なのでしょうか?
僕は、音楽をつきつめた経験があります。誰でも、何か1個で良いから、「命をかけて取り組んでみてくれ」と言いたい。そのときに、絶対に何かが起こるんです。人それぞれ。そのとき、物事に深く考えを巡らせることを知ったり、今まで「できない」と言ってたことが、「できるかもしれない」となると思うのです。
僕の同級生で、高円寺に住んでるうだつのあがらないパンクロッカーがいたんです。良い奴なんですけどね。僕が音楽をやっていたとき、そいつと2人で、ファミレスで音楽について話をしていたんです。
僕は器用貧乏な性質なので、音楽じゃなくても食える。けど音楽がやりたい。そういう人間です。でもその彼は、「俺には音楽しかない」って言うんです。その音楽だって、全然食えてないのにね。
そのときに、ちょっと敗北感があったんです。僕は、「音楽しかない」って言えなかったから。
僕は、歌をやった後は役者をやってみたかったんです。歌詞を書くうえで、個人的な体験だけだと限界があるので、色々な人生の疑似体験をしたいと考えたのがきっかけです。そんな風に、色々な方面に関心をもっていた。そのうえで、音楽を選んでいたんです。
かたや、「俺には音楽しかない」。10代から死ぬまで、そう言い続けられる人間がいたとしたら……。
別にどっちが勝ちでどっちが負けという話でもないんだけど、なんか悔しかったんですよ。「しかない」っていうパワーってすごくて……。そいつを格好良いって思ってしまった。僕はたまたま音楽を選んだというだけで、果たしてこの道を極められるのか……という。
人生を1点に集中できる人ってすごくうらやましい。僕はドロップアウト組なので、そういう人たちが活躍できる場をつくる人間になりたいと思っています。今、イベントなど(*1)を積極的に開催しているのも、その一環です。
この社会は、筋の通った表現者でも、なかなかフォーカスされなかったり、適正な対価が支払われなかったりしがちです。そして今の僕は、どちらかというと搾取する側の立場にいます。なので「なぜ、こんなにも表現者への還元が少ないのか」という問題意識をもっています。
話がそれましたけど(笑)、本当に、人生で一回で良いから、抜き身で1点に集中して何かに取り組んでごらんよと、僕は言いたい。結果は人に委ねてね。それで僕は救われたので。今だって怖いものはいっぱいあるけど、逆に全部怖くないともいえるんです。
怖いものがなさ過ぎて、たまに自分で自分が怖いです。例えば、一番僕の逆鱗に触れるのは身内や仲間を攻撃されることです。もしも家内がさらわれたり殺されたりしたら、僕は同じことをして仕返しするでしょう。
そういう狂気が、昔から僕のなかにあります。それを鎮めてくれたのは、今まで出会ってきた皆です。
そういう狂気が100%ないといえる人はいないと思います。その狂気を包み込める環境をつくるのも、自分自身です。だから、どう生きるか、どう人と接するか。野次られたときにどう自分を鎮めるか、褒められたときにどう調子に乗らないか、ということはすごく意識しています。
結果として、取材を受けたときも話が長くなっちゃうんですよね。本当に、記者泣かせでごめんなさい(笑)。
――本当に長い時間、ありがとうございました(笑)。
(了)
*1 第1回参照
■芳賀英紀(はが・ひでのり)
1981年、東京生まれ。神保町のアダルトショップ「芳賀書店」三代目。SEXセラピストとしてコーチングや講演活動を行い、フェチズム文化維持向上委員会も運営する。連載、執筆多数。Twitter Facebook
■杉本憲史(すぎもと・のりひと)
1986年、東京生まれ。埼玉育ち。ウェブメディア「Tranquilized Magazine」編集者、出版業界紙「新文化」記者。編著書にディスクガイド『Vintage and Evil』(オルタナパブリッシング)がある。NightwingsやWitchslaughtでバンド活動。Twitter Facebook
■前回
「お前ら人肉を食えるのか」「食えない」「それを表現しているくせに、ふざけるんじゃねえよ」―芳賀英紀の性(SAGA)第8回
■第1回
■2020年に行ったインタビューはこちら